名所・歴史探訪
土地の名所・史跡は、様々な歴史を教えてくれます。観光にとどまらず、ライターならではの目線で由緒あるスポットを詳しくご紹介します。
小宮山 信之
語ろ具ライターによるオリジナル記事です。
忠臣蔵の所縁を訪ねる
毎冬になれば、語り継がれるのが忠臣蔵。その所縁の地を訪ねてきました。忠臣蔵が愛される理由はどこにあるのでしょう?
元禄15年12月14日の赤穂浪士47人の吉良邸討ち入りから303年後、義士に所縁の地を訪ねました。いまもむかしも忠臣蔵がどうしてもてはやされるのかを自問しながら…。
■泉岳寺を参詣

毎年12月14日には義士祭が開かれる曹洞宗の名刹・萬松寺泉岳寺。1832年に再建された山門(上)の2階には十六羅漢様が安置されています。境内には大石内蔵助銅像はじめ忠臣蔵に関連した遺跡や記念館があります。


本堂(左)にはご本尊の釈迦如来、道元禅師像ほかが納められています。本堂をお参りしてから義士墓入口の門(右)へ向います。浅野家上屋敷(鉄砲洲)の裏門を明治時代に移築したものです。



吉良邸討ち入りの翌年、1703年2月4日、義士たちは切腹後、高輪の泉岳寺に埋葬されました。細川邸お預けの大石内蔵助(上左)ほか十六人、松平邸の大石主税(上右)ほか九人、毛利邸、水野邸が各九人の墓がそれぞれまとまって祀られています。遺族が遺体を引き取った間進六、天寿を全うした寺坂吉右衛門、そして討ち入り前に切腹した萱野三平の三人の供養塔も墓所内にあります。討ち入り300年を記念して泉岳寺境内には赤穂義士記念館が出来ました。その中に明治元年11月5日付けの勅書が収納されています。それによると東京遷都の折に明治天皇から泉岳寺へ遣わされた使者は『朕深く嘉賞す』として武士の忠義を顕彰しています。
元禄15年12月14日の赤穂浪士47人の吉良邸討ち入りから303年後、義士に所縁の地を訪ねました。いまもむかしも忠臣蔵がどうしてもてはやされるのかを自問しながら…。
■泉岳寺を参詣

毎年12月14日には義士祭が開かれる曹洞宗の名刹・萬松寺泉岳寺。1832年に再建された山門(上)の2階には十六羅漢様が安置されています。境内には大石内蔵助銅像はじめ忠臣蔵に関連した遺跡や記念館があります。


本堂(左)にはご本尊の釈迦如来、道元禅師像ほかが納められています。本堂をお参りしてから義士墓入口の門(右)へ向います。浅野家上屋敷(鉄砲洲)の裏門を明治時代に移築したものです。



吉良邸討ち入りの翌年、1703年2月4日、義士たちは切腹後、高輪の泉岳寺に埋葬されました。細川邸お預けの大石内蔵助(上左)ほか十六人、松平邸の大石主税(上右)ほか九人、毛利邸、水野邸が各九人の墓がそれぞれまとまって祀られています。遺族が遺体を引き取った間進六、天寿を全うした寺坂吉右衛門、そして討ち入り前に切腹した萱野三平の三人の供養塔も墓所内にあります。討ち入り300年を記念して泉岳寺境内には赤穂義士記念館が出来ました。その中に明治元年11月5日付けの勅書が収納されています。それによると東京遷都の折に明治天皇から泉岳寺へ遣わされた使者は『朕深く嘉賞す』として武士の忠義を顕彰しています。

