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芸術・文学
小津安二郎監督作品のエッセイコンテスト
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美術、音楽、本や作家の話題など、インタビューや体験レポートでご紹介していきます。アートの世界。皆さんも始めてみませんか?
語ろ具編集部
語ろ具ライターによるオリジナル記事です。
小津安二郎監督作品のエッセイコンテスト
連日、痛ましいニュース報道にあるように、家族における人間関係が希薄・悪化して久しい現在、小津作品が訴える温かい家族間の(さらには周囲の人間との)深い愛情は、今なお、今だからこそ、鮮烈なメッセージ性を有するのではないでしょうか。
折りしも本年11月に、長野県茅野市において「小津安二郎記念 蓼科高原高原映画祭」の記念すべき第10回が開催されることから、これに連携し、インターネット配信サイト「シネリエ」が配信する小津3作品(「お茶漬の味」、「父ありき」、「秋日和」)について、「語ろ具」読者の方々から皆様のご体験を踏まえたエッセイを募集し、日本の家族像のあり方について、再考する機会とさせていただきたいと思います。
【小津安二郎プロフィール】
1903年東京都生まれ。小学生から尋常小学校で代用教員(1年間)を勤めるまで、父の故郷・三重県の松阪市等で暮らす。
帰京後、23年松竹キネマ蒲田撮影所に入社。27年『懺悔の刃』でデビュー。32年『生まれてはみたけれど』がキネマ旬報ベストテンで第1位に選出される。
2年間の出征の後、『父ありき』(42)らの秀作を残し、再び従軍。終戦の後、捕虜生活となるが46年帰国。
戦後は脚本家・野田高梧と組み、『晩春』(49)、『麥秋』(51)、『お茶漬の味』(52)、『東京物語』(53)らの名作を発表。中流家庭を舞台に親子の関係や人生の機微を描き、独自のローアングルの手法を磨き上げ、いわゆる“小津調”を確立。
その後、蓼科高原(長野県茅野市)の野田家の山荘・雲呼荘(小津が借りていた別荘は無藝荘)でともに脚本を執筆するようになり、「『秋日和』」 (60)ら晩年の名作を生み出す。
58年『東京物語』がロンドン国際映画祭でサザーランド賞を受賞したのを機に、海外でも注目を浴びる。同年には紫綬褒章、翌59年には芸術院賞を受賞、映画人として初の芸術院会員となる。
63年、60歳の誕生日に逝去。晩年を過ごした北鎌倉の円覚寺に眠る。死後もその評価は高まり、国内では周防正行ら、海外ではヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュらに影響を与えている。
松竹「シネリエ」×ニフティ「語ろ具」による
〜 小津安二郎監督作品のエッセイコンテスト & 小津安二郎記念 蓼科高原映画祭ご招待券プレゼント 〜
募集テーマ 「今、見つめなおす日本の家族」
※ご応募ありがとうございました。応募期間は終了しました。
折りしも本年11月に、長野県茅野市において「小津安二郎記念 蓼科高原高原映画祭」の記念すべき第10回が開催されることから、これに連携し、インターネット配信サイト「シネリエ」が配信する小津3作品(「お茶漬の味」、「父ありき」、「秋日和」)について、「語ろ具」読者の方々から皆様のご体験を踏まえたエッセイを募集し、日本の家族像のあり方について、再考する機会とさせていただきたいと思います。

1903年東京都生まれ。小学生から尋常小学校で代用教員(1年間)を勤めるまで、父の故郷・三重県の松阪市等で暮らす。
帰京後、23年松竹キネマ蒲田撮影所に入社。27年『懺悔の刃』でデビュー。32年『生まれてはみたけれど』がキネマ旬報ベストテンで第1位に選出される。
2年間の出征の後、『父ありき』(42)らの秀作を残し、再び従軍。終戦の後、捕虜生活となるが46年帰国。
戦後は脚本家・野田高梧と組み、『晩春』(49)、『麥秋』(51)、『お茶漬の味』(52)、『東京物語』(53)らの名作を発表。中流家庭を舞台に親子の関係や人生の機微を描き、独自のローアングルの手法を磨き上げ、いわゆる“小津調”を確立。
その後、蓼科高原(長野県茅野市)の野田家の山荘・雲呼荘(小津が借りていた別荘は無藝荘)でともに脚本を執筆するようになり、「『秋日和』」 (60)ら晩年の名作を生み出す。
58年『東京物語』がロンドン国際映画祭でサザーランド賞を受賞したのを機に、海外でも注目を浴びる。同年には紫綬褒章、翌59年には芸術院賞を受賞、映画人として初の芸術院会員となる。
63年、60歳の誕生日に逝去。晩年を過ごした北鎌倉の円覚寺に眠る。死後もその評価は高まり、国内では周防正行ら、海外ではヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュらに影響を与えている。
松竹「シネリエ」×ニフティ「語ろ具」による
〜 小津安二郎監督作品のエッセイコンテスト & 小津安二郎記念 蓼科高原映画祭ご招待券プレゼント 〜
募集テーマ 「今、見つめなおす日本の家族」
※ご応募ありがとうございました。応募期間は終了しました。
