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名所・歴史探訪
高野山の母神・丹生都比売神社〜神社を歩く(1)
名所・歴史探訪
土地の名所・史跡は、様々な歴史を教えてくれます。観光にとどまらず、ライターならではの目線で由緒あるスポットを詳しくご紹介します。
醸 のり子
語ろ具ライターによるオリジナル記事です。
高野山の母神・丹生都比売神社〜神社を歩く(1)
高野山と言えば、思い出すのは空海…。なのですが、実はその前から祀られていた神が、この山にはおられたとのこと。霊山の伝説を探ります。
高野山は、高僧・空海により弘仁十(西暦819)年に開創されたことで有名です。しかし、もちろんそれ以前から、高野山に住む人々は、営々と時を紡いでいました。彼らが母神と仰いだのが、丹生都比売(にゅうつひめ)。この女神を祀(まつ)るのが、高野山の中腹・天野に鎮座する丹生都比売神社で、世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部となっています。
■丹生都比売神社と空海
さてこの丹生都比売神社は、当然のことながら空海とも深い関係を持ちます。この神社に祀られているのは、丹生都比売大神・高野御子(こうやみこ)大神・大食津比売(おおげつひめ)大神・市杵島比売(いちきしまひめ)大神の四柱ですが、特にこの地と縁の深いのが、丹生都比売大神・高野御子大神です。
丹生都比売大神は、古来高野山に居を構えた人々の母神であるということは上に述べたとおりで、伝説上、信仰上の存在です。
しかし、高野御子神はもう少し具体的な事蹟を持ちます。僧・空海をこの高野山に導いたのは、この神であると伝えられているのです。ということはつまり、この神様にはモデルがいるということになりますが、その人物とは丹生家信(にゅういえのぶ)、丹生都比売を母神として祀る、丹生総神主家の家長であるといわれています。何分昔のことで、はっきりしたことがわかるわけではありませんが、丹生総神主家と空海の間には、なんらかの交流があったということでしょう。
ちなみに、この丹生家信こと高野御子神は、死んだ後に百合の花へと化身したと伝えられ、彼の御廟であると考えられる百合野神社は、古墳のような小さな丘の上に鎮座しています。
高野山は、高僧・空海により弘仁十(西暦819)年に開創されたことで有名です。しかし、もちろんそれ以前から、高野山に住む人々は、営々と時を紡いでいました。彼らが母神と仰いだのが、丹生都比売(にゅうつひめ)。この女神を祀(まつ)るのが、高野山の中腹・天野に鎮座する丹生都比売神社で、世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部となっています。
丹生都比売神社楼門
■丹生都比売神社と空海
さてこの丹生都比売神社は、当然のことながら空海とも深い関係を持ちます。この神社に祀られているのは、丹生都比売大神・高野御子(こうやみこ)大神・大食津比売(おおげつひめ)大神・市杵島比売(いちきしまひめ)大神の四柱ですが、特にこの地と縁の深いのが、丹生都比売大神・高野御子大神です。
丹生都比売大神は、古来高野山に居を構えた人々の母神であるということは上に述べたとおりで、伝説上、信仰上の存在です。
しかし、高野御子神はもう少し具体的な事蹟を持ちます。僧・空海をこの高野山に導いたのは、この神であると伝えられているのです。ということはつまり、この神様にはモデルがいるということになりますが、その人物とは丹生家信(にゅういえのぶ)、丹生都比売を母神として祀る、丹生総神主家の家長であるといわれています。何分昔のことで、はっきりしたことがわかるわけではありませんが、丹生総神主家と空海の間には、なんらかの交流があったということでしょう。
ちなみに、この丹生家信こと高野御子神は、死んだ後に百合の花へと化身したと伝えられ、彼の御廟であると考えられる百合野神社は、古墳のような小さな丘の上に鎮座しています。
百合野神社

