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名所・歴史探訪
一言の神様・葛城一言主神社〜神社を歩く(3)
名所・歴史探訪
土地の名所・史跡は、様々な歴史を教えてくれます。観光にとどまらず、ライターならではの目線で由緒あるスポットを詳しくご紹介します。
醸 のり子
語ろ具ライターによるオリジナル記事です。
一言の神様・葛城一言主神社〜神社を歩く(3)
神社を歩くシリーズの第3弾は、奈良県の葛城一言主神社。古代の王朝の覇権争いが見えてくる神社の旅です。
一言の願いなら、どんな願い事も叶えてくださるということで知られる、奈良県の葛城一言主(かつらぎひとことぬし)神社。このご祭神は歴史の中で、「天皇と比肩する神」から、「醜い神」に凋落してしまいました。いったいどのような事情があったのでしょう。
■雄略(ゆうりゃく)天皇と葛城一言主大神(かつらぎひとことぬしおおかみ)
世界中を探せば、自分とそっくりな人間が三人はいるという話があります。しかし、自分が行列の先頭にいるとき、前から鏡で映したようにまったく同じ行列がやってきたら驚いてしまうでしょう。そんな話が、日本書紀や古事記に登場します。
それは、雄略天皇四年(西暦460年)のこと。天皇の一行は百官(ももつかさ)と書かれています。その数は誇張を含むかもしれませんが、少なくとも30名ほどはいたのでしょう。すべて青い衣に赤い腰紐をつけたお揃いの姿で、これ以上ないほどに豪華な行列でした。ところが、谷間のところに来たとき、向こうからまったく同じ行列がやってきたのです。
驚いた天皇が、「この国に天皇は私だけだ。おまえは誰だ」と問うと、相手もまったく同じように答えます。天皇の兵が弓を番えると、相手の兵も同じようにします。これでは埒があかないと、天皇がお互いに名乗ることを提案すると、相手は、「私は凶事も慶事も一言で表す言離(ことさか)の神、葛城の一言主大神である」と答えました。そこで天皇はかしこまり、すべての衣装や道具を神に捧げ、二人は和解したとあります。
言離の神とは、「言い分ける神」「言い表す神」などという意味だと思われますが、いずれにせよ、言葉と深い関わりのある神様なのでしょう。それにしてもこの神は「天皇とまったく同じ姿」で登場しますが、これはどういう意味なのでしょうか。
当時、葛城には王朝が存在したと考えられています。後世に大和朝廷と呼ばれる王朝がそのときすでに存在していたかどうかはわかりませんが、この神話は、大和朝廷のトップである雄略天皇と、葛城王朝の氏神である葛城一言主大神の力関係を表現することにより、葛城王朝の力が強大であったことを暗示しているのだと考えられます。
しかし、このような隆盛をほこった神が、240年ほどくだった、文武(もんむ)天皇の御代には、まったく違う描かれ方をしてしまうのです。
一言の願いなら、どんな願い事も叶えてくださるということで知られる、奈良県の葛城一言主(かつらぎひとことぬし)神社。このご祭神は歴史の中で、「天皇と比肩する神」から、「醜い神」に凋落してしまいました。いったいどのような事情があったのでしょう。
■雄略(ゆうりゃく)天皇と葛城一言主大神(かつらぎひとことぬしおおかみ)

葛城の山麓に鎮座する一言主神社
世界中を探せば、自分とそっくりな人間が三人はいるという話があります。しかし、自分が行列の先頭にいるとき、前から鏡で映したようにまったく同じ行列がやってきたら驚いてしまうでしょう。そんな話が、日本書紀や古事記に登場します。
それは、雄略天皇四年(西暦460年)のこと。天皇の一行は百官(ももつかさ)と書かれています。その数は誇張を含むかもしれませんが、少なくとも30名ほどはいたのでしょう。すべて青い衣に赤い腰紐をつけたお揃いの姿で、これ以上ないほどに豪華な行列でした。ところが、谷間のところに来たとき、向こうからまったく同じ行列がやってきたのです。
驚いた天皇が、「この国に天皇は私だけだ。おまえは誰だ」と問うと、相手もまったく同じように答えます。天皇の兵が弓を番えると、相手の兵も同じようにします。これでは埒があかないと、天皇がお互いに名乗ることを提案すると、相手は、「私は凶事も慶事も一言で表す言離(ことさか)の神、葛城の一言主大神である」と答えました。そこで天皇はかしこまり、すべての衣装や道具を神に捧げ、二人は和解したとあります。
言離の神とは、「言い分ける神」「言い表す神」などという意味だと思われますが、いずれにせよ、言葉と深い関わりのある神様なのでしょう。それにしてもこの神は「天皇とまったく同じ姿」で登場しますが、これはどういう意味なのでしょうか。

雲を頂く葛城山
当時、葛城には王朝が存在したと考えられています。後世に大和朝廷と呼ばれる王朝がそのときすでに存在していたかどうかはわかりませんが、この神話は、大和朝廷のトップである雄略天皇と、葛城王朝の氏神である葛城一言主大神の力関係を表現することにより、葛城王朝の力が強大であったことを暗示しているのだと考えられます。
しかし、このような隆盛をほこった神が、240年ほどくだった、文武(もんむ)天皇の御代には、まったく違う描かれ方をしてしまうのです。

