語ろ具TOP の下の階層の 名所・歴史探訪 の下の階層の 「悪神」を忍んで・大甕倭文神社〜神社を歩く(6)

名所・歴史探訪

土地の名所・史跡は、様々な歴史を教えてくれます。観光にとどまらず、ライターならではの目線で由緒あるスポットを詳しくご紹介します。

醸 のり子

語ろ具ライターによるオリジナル記事です。

「悪神」を忍んで・大甕倭文神社〜神社を歩く(6)

神社をめぐっていると、いろいろな神様に出会います。今回は「悪」と表現された神々のお話。

日本書紀の中で、「星の悪神」と表現されている神様がいます。その名は甕星香々背男命(みかぼしかかせおのみこと)。彼は高天原の神々が地上の神々を征伐して行った際、最後に残った悪神でした。その神が支配していたとされる地である、茨城県日立市に鎮座するのが、大甕倭文(おおみかしず)神社です。この地において星の悪神はどのように伝えられているのでしょうか。


大甕倭文神社


■悪神
日本書紀や古事記を読むと、「悪神」がたくさん登場します。たとえば、高天原(天上)から葦原中国(あしはらなかつくに・出雲の国、ひいては日本のこと)へやってきた、経津主命(ふつぬしのみこと)と、武甕槌命(たけみかづちのみこと)に、最後まで従おうとせず、出雲の国を譲ることを承知しなかった、建御名方命(たけみなかたのみこと)などは、「悪神」という表現で呼ばれます。しかし、実際彼らは悪神だったのでしょうか。

記紀は、高天原からやってきた神の子孫を中心とする、大和朝廷により編纂されました。ですから、従わなかった国の主は「悪者」でしょう。しかし、その国の民の目から見れば、彼らは「主人」です。記紀が歴史をそのまま伝えているとしても、公平な目で見て彼らが「悪人」「悪神」であったとは言えないでしょう。

ひとつの国の中に多くの部族が存在する場合、共存することができればよいのですが、その力に差があれば、互いに争って利権を奪いあうという事態になってしまうのは悲しいことです。
日本に「大和朝廷」が出来上がるまでに、どれほどの戦いがあったのか、想像もつきません。しかし、きっと数えきれないほどでしょう。もちろん、大和朝廷が出来上がってからも、それに従わない民は存在しました。坂上田村麿に攻め入られ、降伏させられた東北のアテルイなどが有名でしょう。

「纏(まつ)ろわぬ民」と呼ばれる彼らは、恐れられもし、討伐の対象ともなりました。しかし、彼ら自身は朝廷を倒そうとしていたのでしょうか?ただ自分たちの国を守り、民の幸せを願っていただけかもしれません。そんな彼らでも、大和朝廷側の史書の目から見ると、「悪」となってしまうのです。

サイトの現在地は

  1. 語ろ具 TOP
  2. 名所・歴史探訪
  3. 【醸 のり子】「悪神」を忍んで・大甕倭文神社〜神社を歩く(6)
デキる大人の資産運用
提供:野村證券  9月16日(火)更新

第9回:もうすぐ株券電子化!あなたは大丈夫?