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名所・歴史探訪
南朝皇子の里 引佐(いなさ)を訪ねて 〜しあわせ歴史ドライブ-6-
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土地の名所・史跡は、様々な歴史を教えてくれます。観光にとどまらず、ライターならではの目線で由緒あるスポットを詳しくご紹介します。
しあわせ歴史ママ
語ろ具ライターによるオリジナル記事です。
南朝皇子の里 引佐(いなさ)を訪ねて 〜しあわせ歴史ドライブ-6-
今回の歴史旅は、南北朝時代に遡ります。内乱の続く時代、戦いの中で生きた皇子のゆかりの地を訪ねてきました。
日本の朝廷が二つに分かれ相争った南北朝時代
その主役といえば 後醍醐天皇や足利尊氏
そして楠正成・新田義貞・北畠親房らの南朝武士が浮かびますが
実は 後醍醐天皇の皇子たちも全国へ派遣され
南朝のために 各地で転戦に次ぐ転戦を続けていたのです
中でも 天皇崩御後も活躍を続け
全国を漂白しながら戦いの一生を送った皇子がいます
それが 第四皇子宗良親王(むねながしんのう)
そのゆかりの地のひとつ
浜松市引佐(いなさ)の井伊谷(いいのや)を訪ねてきました
■二宮神社(にのみやじんじゃ)
浜松市内より 国道257号線に乗り
愛知県との県境 西南の方向へどんどん進みます
少し賑やかな集落が見えはじめると
井伊谷(いいのや)という表示が見えました ちょうど浜名湖の北の山中にあたります
見過ごしそうなほどの 質素な石の鳥居があります
「 二宮神社 」
親王と何か 関係があるのかしらと車を降り
手前にある 苔むした古い石碑をのぞきこむと
「 一品宗良親王御廟所 」 の文字がかすかに・・・
宗良親王の没した場所は 信濃大河原が有力なのですが
宮内庁は井伊谷を比定(推定)しているので ここでしょうか・・・
鳥居の奥はひっそりとした森で石段の上に小さなお社
ちょうど氏子の方が真新しい榊を供えておられました
宗良親王の廟所はどこですか?と聞くと
「 明治になり 井伊谷神社ができてからは
あちらが官幣中社(かんぺいちゅうしゃ)ですからね
廟所は移されたのですよ こちらの方が古いんですけどね・・・」
とちょっと淋しそうに・・・
なるほど
お社の石段の下には杉木立があってその奥が行き止まりになり
古い墳墓のような盛り上がりが見えました
そこが廟所跡のようですね
二宮神社はもともと 延喜式の三宅神社
この地の豪族であった三宅氏の祖である
田道間守(たじまのもり)を 祭っていましたが
後に宗良親王が加わり 社名が二宮神社にかわったようです
※官幣中社(かんぺいちゅうしゃ)=官幣社は律令制にならった社格で皇室から幣帛が供進され、神紋として菊の御紋は許されています。官幣大社・中社・小社があります。 ※田道間守(たじまのもり)=垂仁天皇の命で常世の国から橘をもたらしたといわれています。 橘はミカン。実っても実が落ちないことから不老不死=常世と関連つけられました。
日本の朝廷が二つに分かれ相争った南北朝時代
その主役といえば 後醍醐天皇や足利尊氏
そして楠正成・新田義貞・北畠親房らの南朝武士が浮かびますが
実は 後醍醐天皇の皇子たちも全国へ派遣され
南朝のために 各地で転戦に次ぐ転戦を続けていたのです
中でも 天皇崩御後も活躍を続け
全国を漂白しながら戦いの一生を送った皇子がいます
それが 第四皇子宗良親王(むねながしんのう)
そのゆかりの地のひとつ
浜松市引佐(いなさ)の井伊谷(いいのや)を訪ねてきました
井伊谷の風景
■二宮神社(にのみやじんじゃ)
浜松市内より 国道257号線に乗り
愛知県との県境 西南の方向へどんどん進みます
少し賑やかな集落が見えはじめると
井伊谷(いいのや)という表示が見えました ちょうど浜名湖の北の山中にあたります
見過ごしそうなほどの 質素な石の鳥居があります
「 二宮神社 」
親王と何か 関係があるのかしらと車を降り
手前にある 苔むした古い石碑をのぞきこむと
「 一品宗良親王御廟所 」 の文字がかすかに・・・
宗良親王の没した場所は 信濃大河原が有力なのですが
宮内庁は井伊谷を比定(推定)しているので ここでしょうか・・・
二宮神社
鳥居の奥はひっそりとした森で石段の上に小さなお社
ちょうど氏子の方が真新しい榊を供えておられました
宗良親王の廟所はどこですか?と聞くと
「 明治になり 井伊谷神社ができてからは
あちらが官幣中社(かんぺいちゅうしゃ)ですからね
廟所は移されたのですよ こちらの方が古いんですけどね・・・」
とちょっと淋しそうに・・・
なるほど
お社の石段の下には杉木立があってその奥が行き止まりになり
古い墳墓のような盛り上がりが見えました
そこが廟所跡のようですね
二宮神社の杉木立と廟所跡
二宮神社の由来
二宮神社はもともと 延喜式の三宅神社
この地の豪族であった三宅氏の祖である
田道間守(たじまのもり)を 祭っていましたが
後に宗良親王が加わり 社名が二宮神社にかわったようです
※官幣中社(かんぺいちゅうしゃ)=官幣社は律令制にならった社格で皇室から幣帛が供進され、神紋として菊の御紋は許されています。官幣大社・中社・小社があります。 ※田道間守(たじまのもり)=垂仁天皇の命で常世の国から橘をもたらしたといわれています。 橘はミカン。実っても実が落ちないことから不老不死=常世と関連つけられました。

