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名所・歴史探訪

土地の名所・史跡は、様々な歴史を教えてくれます。観光にとどまらず、ライターならではの目線で由緒あるスポットを詳しくご紹介します。

醸 のり子

語ろ具ライターによるオリジナル記事です。

菅原道真公と日本最初の力士・道明寺天満宮〜神社を歩く(9)

梅の香りの中で、学問の神様と日本初の力士の不思議な関係に思いはせ、歴史を推理する。そんな気持ちにさせる道明寺天満宮のご紹介です。

菅原道真公(すがわらみちざねこう)と言えば、学問の神様として受験生に絶大な人気を誇る神様です。頭脳派なはずのこの神様、実は肉体派の血筋なのだということはあまり知られていないでしょう。なんと、その先祖には、日本最初の力士がおられるのです。


道明寺天満宮

■雷神としての菅原道真公
まずは道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)(地図)のご祭神である菅原道真公についてお話しましょう。

平安時代は、祟りの横行した時代でもありました。例えば早良親王(さわらしんのう)のお話は有名だと思います。
早良親王は光仁(こうにん)天皇の皇子で、桓武(かんむ)天皇の即位とともに皇太子となった人物です。しかしその4年後、無実の罪を着せられて憤死。その後、桓武天皇の周囲ではお妃が病死するなど不穏なことが続いたため、これは早良親王の祟りだともっぱらの噂になったのです。一説では、平安京遷都も祟りから逃れるためのことだったといわれています。

現在、学問の神様として有名な菅原道真公もまた、祟り神として有名でした。彼は大変な秀才であったため、若いころからその才覚を認められ、右大臣まで登用されました。しかしこの時代は藤原氏の天下であり、菅原氏である道真公が出世することを認めたくない人々がたくさん存在しました。そしてついに彼は無実の罪により九州は太宰府(だざいふ)に左遷され、その地で命を落としたのです。

その後、都では次々と恐ろしい事件が起きました。まずは、菅公左遷を決めた、醍醐(だいご)天皇の皇子が次々と早逝したこと。また彼を陥れたとされる藤原時平(ふじわらのときひら)やその子供たちも短命でした。そしてとどめとなったのは、清涼殿への落雷。この事故により藤原清貫(ふじわらのきよつら)と平希世(たいらのまれよ)の二人が絶命しています。
相次ぐ祟りに恐れをなしたときの朝廷は、菅原道真公を雷神として、また祟り神として祭る「天満宮」「天神社」を、各地に創建しました。つまり、現在、これほどたくさんの天神社や天満宮が存在するのは、彼がそれだけ強力な祟り神であったという証拠なのです。


なで牛

ところで、天神様や天満宮では牛の銅像をよく見かけると思います。これは「なで牛」と呼ばれて、なでると頭がよくなるといわれます。なぜ菅原道真公を祭った神社に牛が置かれているのかには諸説がありますが、菅公の誕生日(命日とも)が、丑(うし)の年、丑の月、丑の日であるからという説が一般的です。 このように、菅原道真公にはさまざまなエピソードが残されています。しかし実はもっと興味深い逸話があるのです。

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