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名所・歴史探訪

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醸 のり子

語ろ具ライターによるオリジナル記事です。

少女のためのお祭り・奈良県五條市南阿田の流し雛

ひな祭りといえば3月3日ですが、本来は旧暦の3月3日に行なわれていたもの。旧暦3月3日はだいたい4月の上旬ですが、その旧暦にあわせた「流し雛」のお祭りをご紹介。女の子が流し雛に乗せた願いがかないますように・・・ (編)

藁で編んだ船に、紙で作られたお雛様を乗せて流す「流し雛」。テレビなどでご覧になったことがある方もおられると思います。その発祥とされるのが、奈良県五條市にある源竜寺の「流し雛祭り」です。ではさっそく、お祭りをレポートしましょう。

流し雛


■流し雛とは
雛壇に内裏雛をはじめとして、三人官女や五人囃子などを並べたものを、「雛飾り」といい、桃の節句に飾られていますが、本来桃の節句は、「ケガレ祓い」の日であったと言われます。

旧暦の3月3日、人々は紙で作った人形に自らのケガレを移し、川に流しました。こうすることで自分の犯した罪が消えて、清められたと感じたのでしょう。

そしてその「流し雛」発祥の地は、奈良県五條市であると言われています。お寺でいただいた資料によると、幕末に書かれた「紅筆日記(べにふでにっきだと思うのですが、お寺でいただいた資料のどこにもふりがながないので読み方がわかりません。検索しても出てきませんでした)」にも、この村の流し雛についての記述があるようです。

「この村のおみな(女)たち、競いて色紙にて紙雛を作り、一文銭を添え、これを竹の皮にてしつらえた舟に結わえ、吉野川瀬に浮かべ紀伊国淡島神社へ流れ着くようにすることによって女の子の病封じを願ふならわしあり」

文中にある淡島神社についても近いうちに語ろ具にて紹介したいと思いますが、神功皇后(じんぐうこうごう・西暦170〜269年)の御世に創建されたとされる古社で、婦人病や雛人形の神様として人気を集めています。

流し雛の風習は、戦中戦後の時期に消えてしまいましたが、1969(昭和44)年に句会を兼ねて復活された後、毎年開催されるようになったのだそうです。

源竜寺


■女性と信仰
流し雛が行われる源竜寺は浄土宗のお寺。ご本尊の周囲に蓮の飾りがあったので観音様かと思ったのですが、阿弥陀如来のようです。

仏教では、「女人五障(にょにんごしょう・女性は生まれ持って、五つの障害を持っているので、梵天や帝釈天などになれないという教え)」などといわれ、女性は「成仏できない存在」であるとされてきました。そんな中で、阿弥陀様や観音様は、女人を救う存在であると考えられました。

そんな理由からか、特に観音信仰は全国的に広まったようです。

例えば、「坂東三十三箇所巡り」「西国三十三箇所巡り」という言葉を聞いたことがあるでしょう。前者は関東地方の、後者は近畿や岐阜県などにある観音様のお寺を巡ることを指します。いわゆる「巡礼」「三十三箇所巡り」は、他にも「秩父」「三河」「尾張」など、さまざまありますが、ほとんどすべて、観音霊場を巡るという内容です。
それだけ観音様の慈悲に救いを求める女人が多かったということでしょう。

神道において、仏教における観音様と同じような位置づけなのが淡島様といえるかもしれません。淡島神社は婦人病に霊験あらたかな神社で、女性の信仰の篤い神社。この五條にも、古くから淡島信仰があったようです。

「流し雛」は、生まれついてケガレの多い身とされた女性を救うための行事として、重要なものだったのではないでしょうか。

この行事がいつごろ始まったかはわかっていませんが、源氏物語の「須磨」の巻に、祓いの人形(ひとがた)を船に乗せて須磨の海へ流すという記述があるようですから、流し雛の習慣は、それ以前からあったと考えられます。

ただ、淡島信仰が盛んになったのは江戸時代ですから、淡島神社とこの地の流し雛が結びついたのは、その頃かもしれません。

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