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名所・歴史探訪

土地の名所・史跡は、様々な歴史を教えてくれます。観光にとどまらず、ライターならではの目線で由緒あるスポットを詳しくご紹介します。

YUKIKO

語ろ具ライターによるオリジナル記事です。

源平合戦の郷・倶利伽羅峠を歩く〜石川ぶらりお出掛け手帖‐2‐

「倶利伽羅峠」(くりからとうげ)。源平の戦いがあった場所として聞いたことがある方も多いかと思います。石川在住の語ろ具ライターが歴史の舞台を訪ねました。現代版「花咲かじいさん」のエピソードもあるようですよ。 (編)

石川県の街の魅力をさまざまな角度からご紹介する「金沢ぶらり街歩き手帖」の第2回。今回はゴールデンウィークの真っ只中、石川県金沢市のお隣・津幡町(つばたまち)にある「倶利伽羅峠(くりからとうげ)」(地図)にぶらりお出掛けしてきました。いにしえの歴史を感じながら、ちょうど見ごろを迎えた八重桜もたっぷりと楽しんできました。

「倶利伽羅古戦場」を歩く
石川県と富山県の境に位置する「倶利伽羅」は、1183(寿永2)年5月11日に、平維盛(たいらのこれもり)軍と木曽義仲(きそよしなか)軍が戦った「倶利伽羅峠の戦い」の場所として知られています。まずは、戦いの跡がしのばれる「倶利伽羅古戦場(くりからこせんじょう)」へ向かいました。

この「倶利伽羅峠の戦い」で、木曽義仲がとった奇襲戦法が「火牛の計(かぎゅうのけい)」です。倶利伽羅の山の険しさを利用して400〜500頭の牛の角に松明をくくりつけ一斉に突進させ、平家10万の大軍を谷底へと追い落としたと言われています。


険しい倶利伽羅の山:左手が金沢方面、右手が富山方面です


合戦の軍勢の流れ:黄色が源氏軍、紫色が平家軍です

当時の様子が思い浮かぶ松明をつけた牛の像があるのですが、この山深さと必死の形相の牛たちからも、戦いの激しさが感じられます。

ここが「源平倶利伽羅合戦の地」です
松明をつけた牛:近くで見るとなかなか迫力があります。この場所で「火牛の形」を策したと言われています


倶利伽羅峠の戦いの翌日、平家の武将として軍を率いた平為盛(たいらのためもり)は、敗戦を恥じて逆襲を試みましたが、義仲の武将である樋口兼光(ひぐちかねみつ)によって首をはねられてしまいました。為盛の勇敢な最期を弔った「為盛塚(ためもりづか)」も残されています。


新緑のなか、ひっそりとたたずむ「為盛塚」

倶利伽羅古戦場のある峠道は、1995(平成7)年に歴史国道に選定されています。戦死した将兵を供養する「源平供養塔(げんぺいくようとう)」、平維盛が本陣を布いたと言われる「猿ヶ馬場(さるがばば)」、“義仲の 寝覚めの山か 月悲し”と詠んだ松尾芭蕉(まつおばしょう)の句碑などさまざまな史跡が点在していますので、歴史を感じながら歩くとより散策を楽しむことができます。
今では、こんなに激しい戦いがあったなんて信じられないくらいのんびりしていますけどね。

展望台近くには源平の合戦の将兵をモチーフにしたこんなユニークな看板もありました。


将兵をモチーフにしたトイレの看板


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