語ろ具TOP の下の階層の 旅行 の下の階層の メディナ・シドニア〜笑顔の国スペイン便り-10-

旅行

大人の旅の楽しみ方をご紹介します。国内観光の穴場から海外旅行のお役立ち情報まで、生きたトラベルガイドとしてお役立てください。

真木 ゆうこ

語ろ具ライターによるオリジナル記事です。

メディナ・シドニア〜笑顔の国スペイン便り-10-

今回で笑顔のスペインシリーズは最終回。青い空・白い壁、そして明るい笑顔の国、スペイン。歴史があり、料理があり、人がいる。皆さんもぜひスペインの空気に触れてきてください。では、シリーズ最後になるスペインの風景をお楽しみください。 (編)

※この記事はケータイでも読むことができます


カディス県の主要な町の名前はほとんどに「デ・ラ・フロンテーラ(国境)」という意味の名前がついていると以前お話ししました。カディス県で人口の最も多いへレス、私の住むチクラーナ、隣町のコニル、そしてベヘル…すべてに「デ・ラ・フロンテーラ」がつきます。
そんな中で一つ際立った名前の町があります。メディナ・シドニアです(地図)。スペイン語を少し学んだ人なら、メディナもシドニアもどちらも辞書には載っていない単語で、少し変わっていることがわかります。今日はそんなメディナ・シドニアの町をご紹介します。

■名前に隠された秘密

メディナ・シドニアの高台から眺める景色。イスラムとキリストの融合を象徴する塔です。

アンダルシアの歴史を語るのに、これまで何度も出てきたように“レコンキスタ(国土解放運動)”は欠かせません。イスラム支配を退ける運動であったレコンキスタは711年から1492年まで続きました。アンダルシア地方の観光都市グラナダはユネスコ世界遺産にも登録されているアルハンブラ宮殿で有名ですが、この1492年にグラナダが陥落し、すべての町がスペインのキリスト教徒の手に戻りました。
イスラム軍がイベリア半島に侵攻した年と同じ711年にこのメディナ・シドニアの町も一度はイスラム支配下になりました(メディナはアラビア語で「町」の意味)。しかし1264年にアルフォンソ10世が奪回しその後キリスト教軍の周辺地域のレコンキスタの本拠地となりました。そして15世紀以降この町はメディナ・シドニアという名の公爵の町として知られるようになります。
公爵の名前でもあるメディナ・シドニアの町、そして周りには国境を意味する“デ・ラ・フロンテーラ”の町。少しスペイン語がわかると地名を見ただけで歴史が感じとれるようになるので滞在がさらに面白くなるはずです!


高台の西側。メディナ・シドニアの町と大西洋側です。

ではなぜこの町がキリスト教軍の本拠地となったのでしょうか?その理由は実際にメディナ・シドニアに行ってみればよくわかります。

標高337メートルに位置するこの町からの眺めは最高。特にカディス県は海岸に向かって平坦な土地が続いているので、遠くのイスラム教軍の動きまで見えていたかもしれません!この高台の頂上はその昔はお城だったとされています。今では城壁の一部が残っているだけでむしろのどかな風景が広がっていますが、当時のレコンキスタのような激しい戦いがあったことを想像すると歴史の変化をしみじみと感じてしまいます。

高台の東側。古い家屋とヤシの木がアンダルシアらしいです。
同じく高台の東側。こちら側は町と反対側で牧場が広がっています。


サイトの現在地は

  1. 語ろ具 TOP
  2. 旅行
  3. 【真木 ゆうこ】メディナ・シドニア〜笑顔の国スペイン便り-10-
デキる大人の資産運用
提供:野村證券  9月16日(火)更新

第9回:もうすぐ株券電子化!あなたは大丈夫?