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阪神・淡路大震災から13年

あれから13年、当時の体験や今、心がけていることなど、皆様おひとりおひとりの思いを、この場を使ってお書きいただければと思います。

※ここでいただきましたコメントにつきましては、より多くの方に知っていただくため、ニフティ株式会社で運用する他のサイトに転載させていただく可能性があります。ご了承ください。

トピック作成者: 語ろ具編集部

トピック更新日:2008年01月11日 17:18 コメント数:11


最新のコメント20件

1 

  • 1.

    私はといえば、横浜在住なのですがお付き合いのある会社の方と1週間後の早朝、ようやく電話がつながった記憶があります。
    
    ニフティのNIFTY-Serveをはじめとしてパソコン通信で、活発に現地近くと全国の人たちをつなぐ活動が行われていました。(おそらく、国内で災害時のネットの活動というものが意識された初めての機会だったかと思います)
    
    その関係もあって 当時、2度、神戸に行きましたが、そこでは私自身は、残念ながら、お手伝いらしいことができたとはとても思えません。

    投稿日:2008年01月12日 10:01  投稿者: オータニ

  • 2.

    「ボランティアについて考える。」
    
    平成7年1月17日 午前5時46分 阪神淡路大震災が発生してしまいました。
    
    マグニチュード7.2 震度7の直下型地震、何の前触れも無いまま6,308名の尊い人命が奪われ23万棟を超える建物が崩壊したのです。
    
    いったい何が出来るでしょう。
    
    炎につつまれた我が子の絶叫を目前になすすべが見つからなかった父。両親を失い、放心で涙を忘れた遺児達、矢継ぎ早に発信されるニュースに私達は出来る限りのことをしたいと考えました。
    
    世界から、また、全国の自治体や企業,そして個人が神戸へと向かいました。その数述べ数百万人、みんなが涙をこらえながら必死に働きました。そして私もそこにいました。
    
    しかし、そこには大きな問題が生じていたのです。
    
    人間の行動に最低限必要なものは「水と食料」、これがありません。他に移動手段とトイレの問題、いっきに集まった人達の統制の問題と情報の伝達管理。応援に駆けつけた人々は戸惑い右往左往していました。
    
    これを「ボランティア難民」と呼んだ人もいるほどなのです。
    
    そのなかにあって大変な活躍をしていた民間ボランティア組織がありました。
    
    家庭のペットを救済する非営利団体でした。
    
    彼らは活動の目的と目標を定めて食料をたずさえ瓦礫の街を縦横無尽に走り回り、大きな成果をあげていました。彼らの行動には、はっきりとした目的があり組織自体が自己完結性を持っていたのです。
    
    「他の誰にも頼らない。自分たちが勝手にやる」
    
    
    バブル経済がはじけて、少子高齢化が目前に迫った1990年代、ボランティア活動が脚光を浴びるようになってきました。
    
    浮かれた生活と経済を省みる時代が訪れたのです。
    
    しかし、受け入れ団体に訪れる中高年のなかにはメンタルヘルスを必要とする方々も多くいたとの話を伺ったことがあります。
    
    日本人のボランティアに対する意識は低く「気分転換」程度に考えている人もいたようです。
    
    
    人が人に行なう援助とは、いったいどんなものでしょうか?どんなことからはじめることが重要でしょう?
    
    
    近所に独居のご老人がいて、豪雪のために除雪が出来ないとします。
    
    ひと声かけて除雪を行なうことは大変な目的感であり、その効果は絶大ですね。
    
    ボランティアとは確たる目的と「私の心を実現するために勝手にやる」心意気が重要なのです。集まってから「何をしましょうか?」では、将来の効果が期待薄です。
    
    心からの援助活動は「思い入れ」からスタートしなければならないのです。神戸のペット救助隊のように。
    
    あの災害から「援助」に対する国民の意識は進化を続けていると思うのです。
    
    
    札幌豪雪救援隊 松尾

    投稿日:2008年01月12日 18:38  投稿者: 松尾多聞

  • 3.

    松尾多聞さん、さっそくのコメントありがとうございます。松尾さんもあの場にいらしたのですね。あれから13年、あのときの教訓からボランティアの行動や行政の対応もだんだん筋道がつけられてきたような気がします。
    
    ところで、札幌にお住まいですと除雪は日常のこと、大変ですね。私も小さい頃は山陰で雪は日常でしたが、気候のいい東京に住むことで気づかなくなることを改めて考えてしまいます。

    投稿日:2008年01月15日 08:19  投稿者: オータニ

  • 4.

    すでに、1月17日の当日を迎えてしまいました。現在、神戸で取材中ですが、神戸市の大山さんや人と防災未来センターの語り部のボランティアの方の話を伺うと、改めて松尾多聞さんがおっしゃる近所のお声がけの大切さを痛感します。現場の皆さんの声として、ここ2日でいろいろ伺うことができました。13年たったとはいえ、かつての現場での住民の方々の意識がいかに高く尊いものだったかを改めて思いなおす取材になりました。自分にとっても、13年目の訪問で得るところ大です。少しでもこれを皆さんにお伝えしたいととつくづく感じています。ぜひ、思いのある人は、神戸を訪れて見られることをおすすめします。

    投稿日:2008年01月17日 01:03  投稿者: オータニ

  • 5.

    平成7年1月17日 午前5時30分起床し愛犬の散歩に出かけようと玄関に向かうと急に下から突き上げるような衝撃に見舞われました。とっさに外に飛び出しましたが、道路は波打ち、電柱は倒れんばかりに揺れていました。
    
    理由は分かりませんが、薄暗いはずの屋外が地震の最中はとても明るくなり遠くまで見渡せました。
    
    大阪府高槻市在住ですが、壁は落ち屋根は陥没し、けが人も多数出ました。神戸が大変なことになっていることをテレビ、ラジオで知り、体が震えました。
    
    兵庫県尼崎市の西武百貨店(つかしん店)に仕事が入っていたのですが、交通手段は電車、自動車は使えず、バイクか自転車でした。
    
    二日後の19日に売り場の片付けの為に自転車で西武百貨店に向かいましたが、日本人、外国人の方々がリュックと手荷物に水や食料をいっぱい持って、171号線を列を成して運んでいる姿を目の当たりにし、涙が出てきたのを思い出しました。
    
    また、仕事との延長線上で出かけた自分の自転車の荷台に何も積んでいなかったことに後悔をし、とても恥ずかしかったことが悔いとして残っています。
    
    松尾多聞さんの記事を読み、そのとおりだと思いました。
    当時のことを思い出すたびに、恥ずかしさがこみ上げてきます。
    
    これからは、現実をしっかりと把握して「私の心を実現するために勝手にやる」を実践していくつもりです。
    
    
    
    
    
    

    投稿日:2008年01月18日 00:56  投稿者: エノテッちゃん

  • 6.

    エノテッちゃんさん、コメントありがとうございます。あの直後は、ボランティアも何を持っていっていいかわからなかったと思いますね。できなかったことの心残りは私にもあります。あのときできていればという思いは、偶然が重なって助かったような話も沢山聞くので、なおのことかもしれませんね。これからも心残りはずっと抱えていくような気がします。

    投稿日:2008年01月18日 11:54  投稿者: オータニ

  • 7.

    オータニ様
     出張お疲れ様でした。実は家人に神戸ゆかりの会社人がいまして、当日はたまたまお休みをとっていたのですが、神戸在住の同僚の代行で電話連絡をかけまくり、とうとう出社していきました。
     神戸には知人も多く、連絡がとれたのは1週間後くらいだったでしょうか。後で様子を聞きましたが、意外と冷静なのに驚きました。経験は人を強くするのですね。
     そうそう、まだ当時はNIFTY-Serveなどのパソコン通信の時代・携帯電話もトランシーバーサイズでしたが、すぐ後すぐに、通信やネットワークの時代となり、その重要性や意義を考えさせられました。
     被災の様子を見ると今でも泣きそうになるのでコメントしませんが、当時連覇を続けていた大好きな神鋼ラグビーsteelersが再度単独日本一になれたらなんとなく完全復興がかなうような気がします(と勝手なこと書いてしまいました・・)。

    投稿日:2008年01月18日 23:11  投稿者: しあわせ歴史ママ

  • 8.

     取材ごくろうさまでした。でも何をコメントしていいかわからずにいました。あのころ東京で何をしていたのか思い出してみました。
     
     その日、いつも目覚まし代わりのFMラジオが交通情報で何の情報もありませんがスタジオから見える高速道路が渋滞していますと淡路島出身のアナウンサーが話していました。どうもヘンだなとおもって仕事に行くと地震があったことが昼ごろに判った。
     街ごと機能を失うと情報が何もなくなってしまい、何が起こっているのかわからなくなるものだと思いました。
     
     それから、何日かして照明器具メーカーの営業の人から60Hzの器具があっという間に在庫がなくなりましたとか、水漏れを直しに来た都の水道局の人が我々もボランティアに出かけますとか、聞きました。
     
     何ヶ月かして職場が変わり東京のビルの工事に関わっていたのですが、屋根の鉄骨が間に合わないかも・・・ということがありました。神戸で作ったことまでは判っているのだけれど、倉庫のどこに置いてあるのかがコンピューターが吹っ飛んでわからなくなっていたのです。
     
     何年かして東名高速を走っているとヒッチハイクする人が目に付くようになります。トーキョーに行きたいんです!という二人組みを乗せたことがあります。震災にあった若者が存在価値を求めて旅しているようでした。ハマトラもナタデココも流行の始まりは神戸だから、神戸が元気にならんと日本が元気にならないと思ってる、元気出してね。と言うようなことを言った覚えがあります。
     
     今、いろいろなものが電子化されて便利になっていきますが、これでいいのだろうかと思うことがあります。半日停電しただけで「首都圏大停電!」と大騒ぎする東京は、脆弱さを増してるだけじゃないのか(もともと雪が1センチ積もっただけでも、大雪と騒いでバスが運休するようなところではある)。もっと変だと思うのは耐震偽装。どうして、何も学ばなかったというの??
     
     震災は、つらいことだけど思い出せるようにしておかなければいけない事柄であります。特集を組まれたことの意義は大きいと思います。

    投稿日:2008年01月20日 16:39  投稿者: BB

  • 9.

    しあわせ歴史ママさん、BBさん、コメントありがとうございます。
    
    そうでした。上司が携帯を貸してくれたのを覚えています。現地の駅前では携帯屋が盛況でした。照明器具の在庫切れがあったとは知りませんでした。全国各地でいろいろなことがあったんですね。

    投稿日:2008年01月21日 16:08  投稿者: オータニ

  • 10.

     以前にも書き込んだことがありますが、山田深夜氏の震災時のボランティア体験をつづった「生きなきゃね」が読めるサイトがあります。
     
    あん時ゃ夜走り朝帰り
    http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinyago/
     
     山田氏はこの体験の後、脱サラして小説家に転向。今年、吉川英治文学新人賞の候補にノミネートされています(選考日は3月6日だそうな)。
    

    投稿日:2008年02月12日 22:42  投稿者: BB

  • 11.

    BBさん、コメントありがとうございます。山田深夜氏の文、読んで懐かしくなりました。ボランティアとは何かといった思いは、当時、行った方々、ひとりひとりがそれぞれ自分で解決というか、納得というか、落とし所を見つけなければならない課題でした(なにしろ、自分達も行政も市民も前例がなかった)。そのあたりの心境がよく伝わってきて、うんうん、とうなずいてしまいました。それにしても、テレビとは限りませんが、私も火がついた一人でした。あの、行かなきゃ、と突き動かされるような気持ちは、確かに私もいまだに説明ができません。

    投稿日:2008年02月14日 18:50  投稿者: オータニ

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